家猫と内在性レトロウイルスの不思議な関係
研究の要点
内在性レトロウイルス(ERV)というのは、古代のレトロウイルス感染によって生じた遺伝子配列の集団です。このたび家猫において、数万年以上にわたって保有するERV(ERV-DC8)が、感染性と自律増殖性を保持したまま遺伝子として存在していることを発見しました。さらに、世界のさまざまな国の家猫を調べると、高率にERV-DC8を保有していることが判明しました。家猫とERVは不思議な関係で共生?共存しています。なお、このような感染性と増殖性を示すERVは人では未だ発見されていません。
家猫の起源というのは、現在の中近東付近に、人々が定住生活を営むようになって、ヤマネコを飼い始めたことに由来すると言われています。倉に貯蔵している穀物などを狙って集まってくる野生動物を追い払う手段として、人々はヤマネコに捕食者としての役割を見出したのだと想像されます。さらに、「家猫」であるためには、ヤマネコ自身が人々と共生?共存ができる穏やかな性格となった、あるいはそのように進化したことも重要なきっかけです。家猫の正式な学名はFelis silvestris catusでありネコ目?ネコ科?ネコ属に分類され、一般に「猫」と呼ばれる愛称で親しまれています。実のところ、家猫の由来というのは不明なことが多く、ゲノム情報を調べても世界各地の家猫で異なっているようです。
ゲノムには膨大な遺伝情報が刻まれており、タンパク質をコードする遺伝子はゲノム全体の約2%です。ところが、内在性レトロウイルス(Endogenous Retrovirus, ERV)と呼ばれる8%にも及ぶ膨大な遺伝子配列が家猫や私たちのゲノムに存在します。ERVは古代のレトロウイルス感染症を起源とする遺伝子集団です。家猫や人の間に伝播しているレトロウイルスは体細胞に感染しますが、もし生殖細胞に感染し、偶然にも次世代へ受け継がれると、ERVとなって親から子へと遺伝します。
ERVが出現した時期は、古い場合には1000万年もの大昔であり、そのため遺伝子に変異?挿入?欠損が生じ、「ずたぼろ」状態になっています。ERVはこのような遺伝子集団であるためジャンクDNAと呼ばれることもあり、ウイルス粒子の形成や、感染性といったウイルスの性質はもはや損なわれています。ERVは古代の感染症の分子化石のような歴史的記録であるため、これらの研究は古代に流行したウイルスの性質を知ることに加えて、ウイルスと宿主の共進化、ウイルス絶滅のメカニズムあるいは、動物進化においてウイルスが果たした役割とその歴史的変遷が明らかになるかも知れません。
本研究において、共同獣医学部の西垣一男教授を主幹とする研究グループは、家猫のB1染色体に感染性を持った自律的に増殖可能なERV(Endogenous Retrovirus of Domestic Cat (ERV-DC), B1染色体上に位置するものをERV-DC8と呼んでいます)を発見しました。この遺伝子を培養細胞に添加すると古代のウイルス粒子が出現します。ERV-DC8の遺伝子配列が無傷であるため、ウイルスの粒子形成能や感染性が保持されることが判明しました。歴史的にどの時期に、ERV-DCが家猫の祖先に感染したのか正確には不明です。可能性として最も古くは270万年前であると計算されますが、遺伝子に傷などが生じていないことからおよそ数万年前のごく最近に感染したと推測されます。アフリカ、ヨーロッパ、アジアの国々および日本の家猫について、ERV-DC8の保有率を調べたところ、53~86%の頻度で保持していることが判明しました。おそらくヤマネコから家猫が出現する前後で、ERV-DC8の感染と内在化が生じ、人類文明の発展とともに、家猫は世界中へ広まっていったものと思われます。なお、人では家猫に認められるような感染性を持った自律増殖可能なERVは未だ発見されていません。以上の結果から、家猫は潜在的に危険なウイルスを遺伝子レベルで保持しています※が、巧みに古代ウイルスをコントロール下に置き、共生?共存に努め平和に暮らしていると想像されます。
本研究成果は、本学のオープンアクセス支援を得て、科学雑誌「Biochemical and Biophysical Research Communications」に掲載されました。
https://www.yamaguchi-u.ac.jp/weekly/28416/index.html
〔挿絵:田中美優(2023年3月本学共同獣医学部卒)〕
発表論文の情報
- タイトル:Endogenous retrovirus ERV-DC8 highly integrated in domestic cat populations is a replication-competent provirus
- 掲載雑誌:Biochemical and Biophysical Research Communications
- D O I:10.1016/j.bbrc.2024.150521
- 著 者:Didik Pramono#, Yutaro Muto#, Yo Shimazu, R.M.C. Deshapriya, Isaac Makundi, MariaCruz Arnal, Daniel Fernandez de Luco, Minh Ha Ngo, Ariko Miyake, Kazuo Nishigaki(#筆頭著者)
- 所 属:
謝 辞
本研究成果は、以下の研究費の支援を受けて得られました。
- 科学研究費補助金?基盤研究(B)
研究代表者:西垣 一男
研究課題番号:20H03152、23H0239
お問い合せ先
188博金宝,188博金宝网页 共同獣医学部 獣医感染症学研究室
教授 西垣 一男
E-mail: kaz@(アドレス@以下→yamaguchi-u.ac.jp)